海の夜明けから真昼まで | MIDI | MP3 | 7/21 2008 | ||
■ ドビュッシーがリリーを捨てて、世間からひどいバッシングを受けているさなかに精魂こめて作ったといわれる、海-3つの交響的スケッチ 作曲が開始されたのは1903年の夏からで、ドビュッシーはそのころ妻リリーの実家であるブルゴーニュ地方に居たので、実際に海を見ながら作曲されたわけではなく、ドビュッシーのイメージの中の光とリズムに素直に従ったものと思われます。 そして、やがて妻リリーを捨ててエンマ・バルダックと駆け落ちしてしまったので、完成は1905年3月5日までかかってしまうことになります。 初演は1905年10月15日。初演時にはこの曲の新しさがあまり理解されずに、一部の楽団員からも拒絶されるなど評判が良くなかったようで、後にドビュッシー自らの指揮による(ドビュッシー自身の初指揮)演奏会で、やっと評判を得るようになったという経緯があります。 海をMIDI化する・・・ この曲は他に似た曲が見つけられないほど独自性が強く、色々な誤解をされやすい曲ともいえるかもしれません。 中国的な音階や不思議な和声が盛り込まれたエキゾチックな魅力があるのでしょう。 海を越えて遠く、アジアに不思議さを求めたのかも知れません。 また、ドビュッシーの他の曲は女性的なものなのに対してこの曲は異例なほど男性的とも言えるでしょう。 ドビュッシーは評論や批判の中にも自分に対して理にかなうものは素直に受け入れるところもあって、「男性的な曲の希望」に対して「いつかこんな曲でも・・・」という思いもあったのかもしれません。 この1曲目のMIDIを作るうえで大変なのは、やはり臨時記号の多さ。そして、例によってパートによる異なった拍子の混合。 使用したスコアはドーバー社のミニチュア版なので、譜面が小さく、臨時記号が時に印刷がつぶれてしまっていて、シャープなのかナチュラルなのか分からないところがあったり、一つの調性のなかでは収まらない音階になったりして、実際に正しい音にするための努力が相当要ります。 そして、これも割り切れないリズムの処理。 ただし、楽器の扱いはかなりナチュラルな感じで、特別な奏法を必要としないことや、編成もそれほど大きすぎないので、難しさはそれほどでもありません。 作っているうちに、音符が本当に海の波や、それに翻弄されるオブジェクトのように見えてきて、その美しさに浸れるとも感じます。 葛飾北斎の冨嶽三十六景「神奈川沖浪裏」とこの曲のかかわりに対するWindyの一考察。 1905年に出版されたスコアの表紙には、葛飾北斎の浮世絵である冨嶽三十六景「神奈川沖浪裏」が使われていて、ドビュッシーがこの画を元にこの曲を作ったのではないか?ということもよく言われます。 これをヒントにしたことを100%否定することは出来ないかもしれませんが、実際にはそれほど深い係わり合いがあるようには思えません。 おそらくドビュッシーはこれを使うことによって、西洋的ではない、新しい感覚が(オリエンタリズムも含めて)この曲の主体であることを一般に知らしめるための(先入観としてなじませるために・・・)道具としてこれを用いたように感じてなりません。 |
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